5.21.2012

Spiritual Growth by Sanaya Roman(スピリチュアル・グロース--サネヤ・ロウマン)


サネヤ・ロウマンさんの著書「Spiritual Growth」を読みました。
昨年この本を読み始めた時、読み進められなくて本を閉じました。
その時の気持ちが以下の文章でした。

2011年7月23日のブログ記録の文章
「サネヤ・ロウマンさんの著書「スピリチュアル・グロース」を読み始めたところ、『ハイアーセルフ』という言葉が出てきたところから、立ち止まってしまいました。
そもそも『ハイアーセルフ』というものが何なのかが、自分の中でその存在について「これだ!」という感覚が掴めていないことに気づきました。」

この本を読む前、同じサネヤ・ロウマンさんの「パーソナル・パワー」と「リヴィング・ウイズ・ジョイ」はスラスラと読めたのですが、スピリチュアル・グロースだけは、読める時がくるまで待とうと思っていました。
そして先月、今なら読めるかな?と思い、パラパラとめくり始めたところ、「あ!読める!」と感じ、あとは流れに任せるように読み進める事が出来ました。

スピリチュアル・グロース
サネヤ・ロウマン
訳:中嶋慶太・高木悠鼓
出版:マホロバアート
ISBN978-4-944035-02-1

副題に「光の存在オリン、ハイアーセルフを語る」とあります。
この本は大きく3部に分けて書かれています。
第一部は「高い次元に手を伸ばす」
第二部は「内なる次元を開く」
第三部は「外に向かって拡大する」
スピリチュアル・グロースとは文字通り「霊的成長」のことですが、それぞれの部の各章の後に、霊的成長のプロセスを通過できるように、誘導瞑想があります。

さて、私が今ならこの本を読めるかな?と思うようになったいきさつです。
今年になってから「自分を見つめるもう一人の自分」を感じるようになったのです。正確に言えば、「客観的に喜怒哀楽の渦の外側に立っている自分が居て、喜怒哀楽の渦の内側に居る自分を眺めている状態になる」という感覚でしょうか。
日々の生活をしていると、嬉しいこと、悲しいこと、寂しく感じること、怒りたくなること、楽しくなるなどの状態になります。毎日、瞬間瞬間に気持ちが変化しています。
以前ですと、その自分が喜怒哀楽の状態にどっぷりと浸かっていて、その状態のまま行動したり、感情にハマっていて、なかなかそこから抜け出せなくなっていたのですが、今年になってからは、その喜怒哀楽の各々の状態時に、そんな自分を斜め後ろ辺りから眺めている自分にフッとなっている事に気づいたのです。
「あ、自分は今嬉しいんだな」とか「あ、自分は今ちょっと辛い気持ちになっているんだな」と、斜め後ろから自分の姿を見つめる自分。
そして、その状態になっている自分を認めると、気持ちが穏やかになっている事に気づきました。
喜怒哀楽の特に「怒」と「哀」の状態の時には、その渦に巻き込まれている自分を、すーっと手を差し伸べて早く救ってくれるもう一人の自分が居て、早く楽になれることに気づきました。
喜怒哀楽の状態を持つことが悪いということではありません。
ただ単に、喜怒哀楽の状態を認めている自分になると、不思議と平穏な気分になれるのです。
「怒」や「哀」の状態が嫌だともがき、何とかしてそこから抜けだそうと焦れば焦るほど、余計に「怒」や「哀」の状態に陥るという苦しい経験をした事はありませんか?
その感情のままに行動するよりも、「今の自分の感情を、まずはただ認める」といった感覚に早く気づけば気づくほど、より早く楽になれる事に気づきました。
この本のワークではしばしば、「ハイアーセルフの状態になってください。」と書かれている箇所があります。
ひょっとして、上で書いたような感覚がもしかしたらハイアーセルフと呼ばれる状態のことなのかな?と思い、再度スピリチュアル・グロースを読んでみようと思ったのです。

本の内容は、以前読んだサネヤ・ロウマンさんの2冊よりも更に私には必要なものでした。
本には付箋を貼りまくりました(笑)
その中から、一部引用します。

P144~ 9章 自分の感情を静める
「感情を静めることは、ハイアーセルフになるための重要なステップです。激しく重い感情があると、自分の平和な中心から出てしまい、そのせいで、ハイアーセルフの静かな声を聞くことがより困難になります。もしいつも静かで、中心にいて、バランスがとれていると感じるとしたら、自分の人生がどんなになるか、想像できますか。そうなっても、あなたは物事を行うために強い感情をまだもつでしょうか。それらは混乱した感情ではなく、調和したバランスのとれたものとなります。」
「感情のせいで、あなたは時間と空間につながれています。あなたの感情は、自分の思考を実現するための燃料です。つまり何かを望むあなたの感情があると、自分の人生にそれを実現するのがより簡単になるのです。何かを創造する前には、それについての感情をもつことが必要ですが、否定的感情や不調和な感情からではなく、肯定的で調和した感情から物事を創造することができます。」

※よく「思考は現実になる」と云われますが、感情が思考を実現する燃料となるなら、混乱した感情を持ち続けていれば、困難な物事を創造してしまいます。
否定的な感情を感じている場合については以下のような説明がありました。

P146~
「もし、否定的な感情を感じたら、休んで「このメッセージは何だろうか。私は自分の人生の中の何を見て、何を前とは違ったように行動する必要があるのだろうか。」と、ハイアーセルフに尋ねてください。ほんのわずかな苛立ちや憤慨や否定的感情にも注意を払うことを学んでください。(途中省略)高度に進化したあなた方の先生たちも、感情をなくしてしまったわけではありません。というのは、感情とは人間の経験の一部であるからです。しかし、何がまわりで起こっても、彼らの感情は平和で調和しています。彼らは自分のハイアーセルフの導きに耳を傾け、自分のまわりに調和と明晰さを生み出します。あなたが、より大きなレベルで感情を統制できるようになっても、まだ一瞬の怒りや苛立ちを見い出すこともあると思います。しかしあなたは、これらの感情を一瞬に処理し、どんな導きに耳を傾ける必要があるのかを尋ね、そして、それらを解放することを学びます。」
P156~
「感情が現れてくるときに、それらを徹底的に経験すれば、それらを変え、解放することができます。自分の体の中に感情を感じてください。それはどこにありますか。もしそれが色をもっているならどんな色でしょう。その感情から抜け出すように自分を説得しないようにし、ただ自分がそれを感じるままにしてください。そうすれば、最も激しい感情でさえ、たいていの感情は、いったんそれらを経験し、愛し、そのメッセージを聞けば、すばやく過ぎ去ることがわかるでしょう。ですから、どんな問題がその激しい感情を引き起こしているのかについて考えるのをやめ、その感情の感覚そのものに集中してください。そして、深呼吸し、自分の体が光で満たされるのを想像してください。」

私も今丁度この感覚を学んでいる状態なのだと思えました。
その他にも素晴らしい内容がたくさんあるのですが、全てを書くわけにはいかないので、気に入っている見出しだけ記します。
「話した言葉は現実化します。ですから、肯定的に話すことを学んでください。」
「話す前に、自分が話そうとしていることが、どのように人々の人生に貢献するか、自分に問いかけてください。」
※今自分が話している内容は、愛のある発言かどうか---。
最近このように考えるようにしています。まだまだ学んでいる途中です。

この本の21章に、「透明になる」という見出しがあります。
この章がとても素晴らしく感じると同時に、私にとってもとても必要な学びだったと思っています。
「霊的に成長するのに、完全な環境を作ったり、否定的なものをまわりから排除したり、世の中から殷墟したりする必要はありません。この世に存在する様々なエネルギーの中にいて、ハイアーセルフでいることを学ぶために、あなたはここにいるのです。」

上に記したようなオリンの言葉に何か感じるものがあるならば、是非一度スピリチュアル・グロース読んでみてください。
サネヤ・ロウマンさんの本、次は「魂の愛」を読みたいと思っています。

5.14.2012

Medicinal and poisonous plants (薬草と毒草)

北側の庭では、苧環(オダマキ)の花が咲き出しています。
紫色に見える花がオダマキ。
オダマキの花
葉が出始めた時は、最初何が出てきたのか忘れてしまって、秋明菊だとばかり勘違いしていたのですが、花が咲いてオダマキの花だったと思い出しました。
植えた覚えの無い場所からも出てきたので、勝手に実生で育ったものだと思います。

花は大変美しいので、切って茶花として花入れに入れたりしていますが、オダマキはキンポウゲ科オダマキ属の植物です。
「キンポウゲ科の植物」には毒性の強いものも多く、このオダマキもプロトアネモニンという成分を含有するため、切り口などが皮膚に触れると皮膚炎を起こしたり、誤って食べたりすると胃腸炎や心臓麻痺を起こしたりするそうなので、取り扱いはちょっと注意が必要なのです。

今庭にはドイツスズランも咲いていますし、オモトもあります。
スズランに毒が有るというのは有名で、スズランには「コンバラトキシン」、オモトには「ロデイン」などの成分が含まれていて、共に呼吸障害などを起こしたりする場合があるとか。

毒草といえば、先日樹林気功で訪れた平泉寺には「ミヤマキケマン」が咲いていました。
平泉寺のミヤマキケマン(深山黄華鬘)
「身近な薬草百科(パッチワーク通信社/ISBN4-89396-716-9)」によりますと、ミヤマキケマンはプロトピンという毒性分を含み、酩酊(めいてい)状態、嘔吐、昏睡、呼吸及び心臓麻痺などの症状を起こすそうです。しかも注意書きのところに、「美しい花だが悪臭があり、深く匂いを吸いこむと、吐き気をもよおすことがある。」と有りました。思いっきり匂いを嗅がなくてよかった!

もう一つ。
テンナンショウ
同じ日に勝山の岩屋の大杉で撮影したものです。このテンナンショウも毒性が強く、果実を誤って食べて口内や口舌が痺れたり、胃腸障害を起こしたりする例が多くあるそうです。
前出の「身近な薬草百科」にも「毒のある植物に気をつけよう」の箇所に記されていました。

で、この「身近な薬草百科」はタイトルのごとく薬草の本なのです。
なので、毒草とあっても、同じ植物なのに、毒性成分と薬用効果が書かれています。
つまり、「薬草でありながら毒草でもある」ということで、上記の植物のような特に毒性の強いものはページを分けて記されています。

面白いことに、テンナンショウとよく似た姿をしている「カラスビシャク」は、干した塊茎(地下部分に出来る球茎)は「半夏(ハンゲ)」と呼ばれる生薬になり、嘔吐、つわり、胃腸炎の改善などに有効と書かれていて、こちらは薬草のページに分類されていました。
 我が家のカラスビシャク
12~13年ほど前、石川県のお友達Oさんから頂きました。
「路地に直植えすると、とてつもなく増えて困るから、鉢植えが良いですよ」と教わったので、鉢に植えていますが、毎年ムカゴが落ちて、春になると芽が伸びてきます。
 カラスビシャクの花。5月になって咲きました。
このような形のものは仏炎苞(ブツエンポウ)と呼ばれ、サトイモ科の特徴です。水芭蕉、ザゼンソウなどを見ると、おんなじ科だ!と判ります。
カラスビシャクの葉。
小さな対になった2枚の葉とその真中に大きな葉の計3枚が集まって着いています。
この葉っぱ、眺めているだけでも可愛いです。

テンナンショウは強い毒性があるのに、似たようなカラスビシャクには毒性が無いのか???と思って調べてみたところ、ウィキペディアによりますと、塊茎は「乾燥させず生の状態では、シュウ酸カルシウムを含んでおり食用は不可能。」となっていました。
シュウ酸カルシウムのウィキペディアでの説明はこちら。

このシュウ酸カルシウムって、以前、何故里芋などを触ると手が痒くなるのかを調べた事があって、その原因がシュウ酸カルシウムの結晶の形が原因だったと知った事がありました。
シュウ酸カルシウムの結晶は針状になっていて、里芋やカラーなどを触ると痒くなるのは、針状の結晶が皮膚に刺さるからだとか。
ウィキペディアによると、パイナップルを食べた時に口や口の周りが荒れるのも、このシュウ酸カルシウムの針状結晶が原因みたいです。

つまり、薬草は毒草でもあり、毒草は薬草でもある。
・・・と書くとちょっと怖く感じるかもしれませんが、植物には何らかの薬効がある反面、なんらかの毒があるもので、それが多量に含むか少量かで、薬草だとか毒草だとかと人間が勝手に分類しているだけなんだなと思いました。当の植物達は、そんな風に分類されているなんて全く関係無いことなんですから。。

食べ方や用法を守り、勝手に触れたり口に含んだりせず、きちんと調べてから取り扱ったほうが良いですよね。
先月書いた「薬草の庭と茶花の庭」に出てきたスギナについてもカラスビシャクと同じように、薬草だからといって、大量に使用するのは良くないでしょうし、お野菜にしても、果物にしても、安心だからといって大量に食べるのはやっぱり良くないですよね。。。。。適量が一番。

5.08.2012

平泉寺にて樹林気功

気功教室の先生やお友達と福井県勝山で樹林気功を行って来ました。
その時平泉寺へも寄ってきました。
木々がとっても美しかったので写真に収めてきました。
 大きな杉木立
中央の鳥居が小さく見えます。
 絵画のように美しい庭
 池に映った樹木
 見上げた木々
木々が私達を歓迎してくれたかのようです。樹木からたくさんのパワーを頂きました。

フィンドホーン創始者のお一人であるドロシーマクレーンさんの著書「樹木たちはこう語る」(訳:山川紘矢・山川亜希子 出版社:日本教文社 ISBN978-4-531-08167-7)の中の一部を引用します。

P218「杉」からのメッセージ
---「私たちの安定したゆるぎない愛を感じなさい。土地の一部でありながら、また土地へと戻ってゆく愛です。私たちは別々であり、しかも別々ではありません。その両面を私たちは誇りに思っています。できる限り沢山の愛と私たちの命のエネルギーを、空高く、地中深くへと送っています。そして何が来ようと、私たちは受け入れます。」---

大木は「地球の皮膚」だそうです。
彼らは彼らにしか出来ない仕事を地球の為に行なっているそうです。
なので、人間が勝手に大きな木を切り倒してはいけないのです。
人間も自然の一部としての仕事があり、お互いに助けあって生きていこうとすれば調和が生まれるのです。

樹林気功については、またいつか改めて書きたいと思います。